※本記事は後編の感想記事になります。まずは前編からお読みください。
【感想(Ⅳ章~Ⅵ章)】
■Ⅳ章
別に無くてもいいかなと思った章ですが、夏目にとって草薙の存在を改めて考えられる章ではあります。禍福は糾える縄の如しという言葉があるくらい、幸福と不幸にはバランスがあると考えている人は少なくないと思われます。
水菜は攫われるその時まで健一郎の手を否定し、自分を生贄にし続けました。殺し合いの防止や藍のためというのはあるとは思いますが、突然降りかかった身に余る幸福に対して、彼女なりのバランスの取り方だったのではないでしょうか。
道理を曲げて奇跡を発動する千年桜と過剰な幸福を与える草薙の男。受ける側にとっては、果たしてそこに違いはあるのでしょうか。私には大した違いがあるようには思えません。
話は変わりますが、水菜と優美には何らか接点があると思っていました。単に見た目が似ているのもあるんですが、卵焼きが同じというのがどうも頭から離れません。本作中には何も出てきませんが、続編をやる際には頭の中に置こうとは思っています。
■Ⅴ章
本章においては主観の違いというものがテーマになっている気がします。特に直哉と圭については、天才の相違という形で色濃く書かれています。
圭は身体を削り、直哉は心を削って(幼稟談)絵を描きますが、健一朗曰く心と身体は同じらしいので、優劣はないはずです。にも関わらずそこに歴然たる差があったのはなんででしょう?
あるとすれば天命(運)の差ではないでしょうか。人事を尽くした後にはそれしかありません。おそらく圭は直哉よりそれを多く使えてしまったのでしょう。だからこそ代償に死という運命を与えられた。
事故に合いそうな子に遭遇する場面が仮に100回あるとしたら、圭は100回とも同じ選択をするでしょう。だからどうしようもないのです。
まぁ言ってる私が言うのもなんですが、そう考えるとなんとなく辻褄が合うからそう思っているだけで、個人的にあまり好きな考え方ではないです。運にロジックを当てはめるのはなんか無粋です。
<直哉と稟の美についての対話>
読んでる最中は引用の連発と、内容が正直不愉快だったところもありブチギレそうでした。私は数式は宇宙の真理そのものだと思っていますが、美は個人の主観で変わるものだと思っています。なので数を神や美などという曖昧模糊なものと同列で語られること自体面白くないです。
<長山 香奈>
名言しか吐けない女。彼女の絶対的な主観主義は聞いていて気持ちいいくらいですね。こと絵に対する姿勢は手段を択ばない分真琴より強くすらあります。己が愛を貫いてかつて内にあった世界を取り戻せることを祈っています。
■Ⅵ章
突然の10年ほどのターンジャンプに加えて、新キャラと成長した姿の連打に大分混乱したのを覚えています。ですがⅤ章がきつかったせいか脳が再生するくらい楽しかったです。一回り下の女の子にモテるの楽しい…
個人的には草薙直哉という人間が本作を終えた今となったも分かりません。まさか死ぬほど準備することを当たり前だと思い。天命の介在する余地を極限まで削るやつだとは思っていなかったです。
そういうのは香奈みたいな人間の思想だとは思っていたのですが、逆に彼女は運を勘定に入れていて少し残念に思いました。彼女は自分の世界をちゃんと追えているのか心配です。
またブルバキによって死んだ「櫻達の足跡」を蘇生させた光の芸術は中々オツなものです。あれはまさに死者蘇生の芸術。かつて千年桜と布瑠の言により、それを成就させようとした稟に見せる作品としては、これ以上無いように思えます。(でもこのルートのなおくんは知らない筈なんだけどなぁ…)
まぁいずれにせよ直哉という人間が分かるのは2人の因果交流が実現するときでしょう。今から楽しみにしていますよ。
●夏目 藍
それではENDヒロインたる彼女について語りましょう。最後に語るに相応しいヒロインです。なのでⅤ章では何も語りませんでした。
彼女が見出した草薙の男の加福に対する解答は、常に苦境にいる彼らの帰る場所になり、そして無条件に愛するというもの。草薙と夏目の全てを知る彼女だから得られた解答。故に彼女はⅢ章のヒロインにはなれません。彼女の愛は縛らないものなのですから。
時に平仮名というものは音節文字です。本作風に言えば詩(し)ではなく詩(うた)である、音を表す文字体系です。藍が愛と同じ音なのは説明する必要すらありません。そして平仮名において、"あい"より前には何もありません。成程返るべき場所の人として、これ程相応しい人もいないでしょう。
ですから私が夢浮坂で振り返る彼女を見て涙したのは、仕方のない事なのです。
ラベル:枕